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衝撃的な映像。日大アメフト部の反則行為に見る3つの盲点

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このブログで、ニューストレンドを取り上げることは相応しくないと考えたところもありましたが、スポーツ愛好家の僕としては、スポーツをやってきた立場で、今回のニュースから感じたことを書いてみたい。

巷では、反則を犯した選手の名前や、日大アメフト部の監督の進退に関心が集まるところですが、ここでは反則を犯した選手が自分の子どもならどう考えるのか、という視点で書いてみたいと思います。

衝撃的な映像から見えるリーダーこそが弱さと向き合う勇気

最初に僕はリーダーこそが自分の弱さと向き合わないといけないことを指摘します。

既に多くの動画が出回っている中であり、全国ネットのニュースでもその映像が取り上げられているので、あなたも既に映像を見たのかもしれませんね。

僕は試合を見たわけではないですが、いくつかのニュース映像を見ながら、特定の個人の選手が反則行為を行っていたように見受けられました。

日本大学と関西学院大学のアメフトの試合は、古豪どおしの闘いであり、特に昨年度は日本大学が久々の学生王者に返り咲いたこともあり、いつも以上に両者の熱は高まっていたのではないかと予想されます。

当然、選手自身もそうですが、チームを指揮する監督にもそれ相応のプレッシャーがあったはずです。

昨年はまぐれだったのでは、とか、これまでのような辛酸をなめるわけにはいかないとか、いろんな思いがあるだろうし外野からの声があるのだと思います。

反則を犯した選手に関しては、相手の選手をケガで葬れば、今後のレギュラー争いに優位に立てると言われていたとも報道されていました。真相は定かではないですが、それぞれの立場で、何としてでも結果を出す必要に迫られていたのだと推測されます。

組織全体に追い詰められた雰囲気がある場合に、一番犠牲になるのが、最前線にいる弱い人です。仕事でも、スポーツでも、戦争でも、組織で闘っている場合、最前線にいる弱い立場の人にそのしわ寄せがいきます。

ある程度統率が取れている集団なら、指示命令系統があってしかるべきで、追い詰められた時に末端にしわ寄せがいくことをリーダーが自分ごとのように感じているのかどうかで、末端の人の命運がわかれます。

リーダーこそが、自分の弱さと向き合わないと、必ず末端にしわ寄せが行きます。

反則を犯した選手は、これまでもずっと問題ある選手だったのでしょうか。アマチュアで同じスポーツを続けているということは、本人なりにそのスポーツが好きで続けてきたのではないでしょうか。

常に反則行為を犯し続けていたのなら、それを知って試合に出させた指導者にやはり問題があります。

審判も人であり、審判としてモラルが問われる

二番目に、審判の采配に問題があったと指摘します。

問題になった反則行為は、審判の目にも異常な行動に映ったはずです。もしそうでないとするなら、即刻審判として退場してもらう必要があります。

コンタクトスポーツはその性格上、精神が高揚して、必要以上に相手に攻撃を加える可能性が常にあります。

格闘技の審判は、そのことを踏まえて、スポーツとして競技が運営されるようにゲームをコントロールすることを期待されているはずです。

問題の反則行為があった際に、即刻退場としなかったのには何かの理由があったのかもしれません。

審判の目の前で起こった衝撃的なシーンです。

目の前の選手が自分の子どもだったら、即刻問題にするのではないでしょうか。もし、その審判の出身大学が日本大学だったらどうでしょうか。そうでなくても、日本大学をひいき目に見ている審判が多かった場合はどうでしょうか。

オリンピックでも疑惑の判定ということが、しばしば起きています。審判も人です。間違いはあります。ただ、本当にそのスポーツに対する愛情があるのなら、そのスポーツや試合を汚す行為に対して断固とした態度をとるべきです。

審判に対しても、その試合を支配していた空気が即断を拒ませたのかもしれません。

アメフトはマイナースポーツであるが故の、組織的な脆弱さがあったのかもしれません。

観客の感動は見捨てられるものではない

三番目に僕は観客の存在が無視されてはいけないことを指摘します。

伝統の一戦を楽しみに観戦に来ていたファンも少なからずいたかと思います。アマチュアスポーツは入場料で運営されているわけではないと思うので、選手たちは観客を喜ばせるべき、という考え方は当てはまらないと思います。

でも、強い時も弱い時もそのチームをひいきにしてくれているファンもいるだろうし、戦っている選手たちの家族や友人、知人、先輩、後輩など、伝統のあるチームであればあるほど、その関係者の幅は広いはずです。

そういった人たちは、鍛え抜かれた両者の一進一退の切磋琢磨を楽しみに試合を見にきているはずだし、一進一退の中で決まっていく勝敗の行方を最高の楽しみとしているはずです。

スポーツ好きの僕の意見はそうです。ワンサイドゲームで勝つ姿を見るのも悪くないけど、いわゆる歴史に残るゲームと言われるくらいのハラハラする展開を望んでいたりするものです。

それが、生でスポーツ観戦をする醍醐味だし、これだからこのスポーツを見ることはやめられないというエネルギーが作り出され、その競技は盛り上がるのだと思います。

だからこそ、ライバルという関係が必要なのです。

ライバルは傷つけ合う関係なのでしょうか。もし、自分の兄弟がライバルだとしたら、どんな関係を理想とし、どんなことに感動するのでしょうか。スポーツは代理戦争だという考えもあります。

でも、僕はそんなスポーツは要らないですね。手の内を知り尽くした関係であっても、強みと強みをぶつけ合い、お互いにさらに高みを目指していく、そんな高め合う関係がその競技を発展させる原動力になるのではないでしょうか。

スポーツの未来は明るいのか

僕はスポーツにはとても教育的な効果があると感じてきました。あるルールの存在する特殊な環境で、勝敗が明確に決まるという活動がスポーツです。

そんな限定された空間だからこそ、短時間で感動が生まれ、教育的効果のたかい活動となるのです。

そんなスポーツもやはり人の行う活動です。今回の衝撃的な映像によって浮き彫りになった課題を、単なる犯人探しのゴシップで終わらせることなく、一人ひとりの関わる活動の発展に役立てる課題としていければよいのかと思います。

人は弱いので、人の不幸で自分が何か安心できてしまう心理があります。でも、渦中の人となった学生には未来があるのです。

もしわが子だったとしたら、どう思われるでしょうか。

当然、ケガを負わせた相手には心からの謝罪をするべきだと思います。

僕は可能であれば、その選手の未来が暗いものとなるのではなく、しかるべき反省の期間を過ごし、アメフト以外のことでもう一度人生をやり直せる機会があることを望みます。

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